フィリピン医学留学Diary(^^)

フィリピン医学留学Diary

フィリピン医学留学での様々な出来事を綴ります。

フィリピン人の英語

巷ではフィリピン人は小学校から英語で授業が始まり、国民の大多数が英語を話すと言われていたりしますが、実際はそうでもありません。まず、ここマニラでは国民の20%は一日1ドル以下の生活を強いられています。貧困層は学校に行くことができなかった人が大多数なので、英語は勿論現地語の読み書きも怪しい場合が多いです。日本に住んでいるとイメージが湧きにくいかもしれませんが、フィリピンは他の発展途上国と同様に超格差社会格差社会の影響は彼らの教育、ライフスタイル、受けられる治療、全てに多大な影響を及ぼします。勿論英語も例外ではありません。また、貧困の影響の他、地理的な影響も見られます。セブを除く、田舎では英語を使っていないフィリピン人が多いです。マニラから数時間離れた地方に行った際に、英語が通じないということが幾度かありました。

f:id:takoyaki3292:20170609020348p:plain

また、一度マニラの一般的な大学の学生のレポートを見る機会がありました。彼女はビジネス専攻で、その大学では成績優秀という話を聞いていたのですが、レポートを見るとHe don't have や 過去形と過去分詞を使い分けれないなどの基本的なミスが多く驚いた覚えがあります。語彙力も豊富と感じることはありませんでした。彼女は話す分には問題ありません。その際わかったのは、マニラの普通の大学を卒業しているフィリピン人は決して日本人が想像しているほど英語を上手く使っているわけではないということです。

さて、最初に格差社会の話をしましたが、格差社会のトップの一流私立大学や国立大学を卒業している子たちの英語力は次元が違います。彼らは小学校から英才教育を受けて来ています。一流大学の子たちは大学の授業でシェイクスピア等を当たり前のように読み、100ページにわたる卒論を英語で提出し卒業するのが一般的です。彼らの語彙数は僕や一般的な日本の英語学習者の比ではありませんし、僕がテネシー大学で留学していた時に出会ったアメリカ人の子達の文章に比べて語彙力の点でも表現力の点でも勝ります。また、友人の一人は親と親戚がアメリカに住んでいて、渡米した際に普通のアメリカ人よりも英語が上手いと言われたと話していました。しかし、スラングは彼らもわからないようで、洋画を見ても意味不明な表現が多少あるようです。また、英語を話すのはフィリピン語より疲れるし、面倒だともよく呟いています。言語学でどんなに外国語が自国語と同じレベルで上手くても、感情表現の場合は自国語で表現する傾向があると言われているように、彼らも日常会話の際は俄然フィリピン語を好みます。その逆の影響か、彼らの使う英語は日常語とかけ離れた固い表現が多いのも特徴の1つです。

ではオンラインフィリピン英会話の先生の英語はどうなのか。大手の場合は、フィリピンでも超一流の大学卒業者しか採用せず、英語の試験もあるようなので、大丈夫だと思われます。しかし、あまり採用を厳しくしていないところもあるようで、そういうオンラインスクールでは自分と変わりないと思う先生に会ったり、教えるにしてはちょっと語彙力に欠けすぎではないかと感じる先生に会ったこともあります。発音に関しては、完全にその先生の育った家庭によります。アメリカ英語を話すフィリピン人もいれば、フィリピン訛りの英語を話す人もいます。後者が大多数です。例えば、muscleはアメリカではマッソーみたいな発音ですが、フィリピンではマッセルと発音されます。また、FとPが入れ替わります。週末にホテルのロビーで勉強していた際、受付にdo you have a copy machine available for guests?と聞いた際、yes we have a copy machine.と言われたので、印刷をお願いしようとしたら、困惑した表情をされて、間もなくcoffee machineのことを言っているんだという事実に気づいた時は衝撃的でした。

                                   Related image

最後に、個人的にフィリピン英語で一番好きなのは感情表現です。アメリカにいた際に、アメリカ人の英語で一番馴染めなかったのが彼らの感情表現の仕方。日本で生まれ育った僕には、抑揚が強過ぎて最後まで抵抗感がありました。また、アメリカ英語の表現は日本人にはtoo straightforwardなところがあります。その点、フィリピンはアジアなので、日本人のものの考え方や感情表現の仕方が似ているところがあります。英語で控えめな感情表現をするので、自分を表現する際にはこっちの英語の方が違和感がありません。また、起承転結を文章構成にすることも少なくありません。アメリカでは、一文目に重要なポイントを書いて、段落ごとにトピックを割って、そして多義的な言語は使わない等の極めてシンプルで合理的な文章の書き方が好まれますが、フィリピン人の心情ではそれだとちょっと直接的過ぎると感じられるようです。実際に学校から出される声明などを読んでいて、最後まで読まないと結局何が言いたいのかわからないと思ったことが幾度となくありました。情報伝達の文章にまでそれをされると、多少面倒ですが、日本人の書く評論文はそういった部分があり、親近感は持てます。